よしかねたくろう -東日本大震災で気づいた、自分の音楽活動の意味

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うおしーらんです!

 

昨年12月に私はクラウドファンディングで、「あなたの魅力が200%伝わるブログを書きます」 という10,000円のリターンをご用意したところ、とてもありがたいことに9人の方がこのリターンを選択してくださいました!

 

▼クラウドファンディングで完成したミュージックビデオはこちら!

 

現在、ちょっとずつではありますが、「ブログを書きます」リターンと「楽曲提供します」リターンを選んでくださった方々に対して、リターンを履行している最中です。

 

 

6人目は、シンガーソングライターの「よしかねたくろう」さんです!

 

「よしかねたくろう」さんとは?

よしかねたくろう(1974年9月17日 – )は、日本のシンガーソングライター、音楽プロデューサー、作詞家、作曲家、ボイストレーナー、ラジオパーソナリティー、豊明市広報大使(第1号)。山口県防府市生まれ、愛知県豊明市出身。

引用:Wikipedia

 

よしかねたくろうさんとの出会い

出会いは2017年の夏。

私がまだ「スズムシラプソディ」という名前でアーティスト活動をしていたとき、偶然同じライブイベントに出演したことがきっかけで知り合いました。

 

話を聞くと、愛知県の豊明市出身。

私も地元が豊明市だったので、すごい共通点だ!と思い、仲良くさせていただくように。

 

そして、11月にMID-FMというコミュニティラジオでレギュラーで番組を持っているたくろうさんが、私をゲストとして招いてくださったのです。

その後も何度かご飯にご一緒したりと、フリーで音楽活動をしている先輩として、とてもお世話になっています。

 

そして今年は、9月23日にたくろうさんの主催ライブにゲスト出演させていただくこととなりました!!

豊明市の文化会館です!!

キャパ、300人ですよ。一大イベントです。

 

今回で3回目になるこちらのイベントは、毎年たくろうさんが力を入れていらっしゃいます。

 

今回のインタビューでは、このイベントと絡めて、たくろうさんがこれまでどんな音楽人生を送ってきたのか、今後どうなっていきたいのかを語っていただきました。

 

先に言っておきます。

このお方は、生半可な気持ちじゃない。

 

たくろうさんの語り口そのままに、文章でお届けいたします。

 

よしかねたくろうの音楽活動の大義名分

音楽活動は、今年で25年目になりましたが、なかなか全てが思うようにはいきません。
特に収入面ではまだまだ苦労してます。

けど、なぜそれをやるかという大義名分があって、それは、「音楽は1人じゃ成り立たない」ということ。

見る人、聴く人がいて初めて成り立つのが音楽。そういう人がいてはじめて、音がただの音じゃなくて音楽になるんだ。

それに気づいたのがつい最近、東日本大震災の後でした。
僕の音楽活動のゴールはNHK紅白歌合戦出場。そこに向かうプロセスが、今。

 

独りよがりだった過去の活動

20代の頃はロックバンドをやっていました。

プロになるぞ!メジャーに行くぞ!と、鼻息荒く30歳まで続けたけど結局、何も起こらなかった。

 

今考えると、それは当たり前だったのかもしれない。

すごく独りよがりな音だったのかもしれない。

 

 

「自分が音楽を届けている」というところまで想定せず、どこに向けて音を発しているのか、わからないまま時が過ぎた。

30歳になって、同い年のメンバーたちが結婚などを理由にバンドを辞めていき、自分1人になってしまった。

けれども、音楽を辞めるという選択肢がなかったから、一人ギターで弾き語りの活動をはじめた。

 

 

何をしたら満足できるのか、わからなくなった

30代、それで色んなことをやりました。

それでもやはり、生活があって、音楽がある。音楽があって、生活がある。

「音楽だけで自分の生活を支える」ということはできなかった。いや、覚悟がなかったのかもしれない。

自分は何がやりたいのか、何をしたら満足するかずっと考えてた。

そんな中、36歳の時に、独立開業をしてカタギの仕事で成功を目指そうとはじめた。
ちなみにその仕事は今はビジネスパートナーに任せています。

それまでのご縁もあり、ライブハウスからのライブの誘いは断らず、ふわふわしながら音楽を続けていました。

 

こんな中途半端に音楽をやるなら、いっそやめてしまおうと思っていた頃、
2011年3月11日、37歳の時に東日本大震災が起こった。

 

東日本大震災で、自分が何ができるか考えた

まずは寄付や募金で協力できることをしながら、

自分に何ができるのか?寄付や募金だけなのか?

ずっと考えていた。

阪神淡路大震災の時、僕は20歳で、某会社で働いていました。

先輩たちが震災の現場へ応援に行く背中を見ながら自分は手を挙げる勇気がなく、結局手を挙げなかった。
そのことを東日本大震災の時に思い返し、これでいいのか?と心に引っかかった。

モヤモヤした気持ちで震災の様子を情報をもとに見守っていました。

 

そんな中、2011年10月に仲間のミュージシャンが1人で岩手県にいくことを、Twitterの投稿で知り、彼が帰ってきてすぐ話を聞いたら、彼はこんな話をしていた。

「何かできないかなと思って、行くしかないと思ってさ。ものすごいことになってるよ岩手は。

タクシーで色んな場所に走って、仮設住宅にたどり着いて、声かけられて。

『何やってんの?どこから来たの?』って。

それで色々と話を聞いていたら『仮設住宅には娯楽がなくて』と言われたので、自分が音楽をやっていることを伝えたら、『ぜひ演奏しに来て』という話になったんだよ」

 

「音楽なんかもう、いいか」と思っていたけれど

「音楽だったら役に立てるかもしれない」

なんだか矛盾してるんだけどそう思いました。

 

それから「俺も一緒に行く」と伝え、知り合いのミュージシャンに声をかけて
のちに「がんばっぺし☆なごや」という、復興応援チームになったんです。

 

 

被災地で歌って気づいた、大切なこと

2012年2月、初めてチームとして現地入りしました。

自分のオリジナルソングを聴いてもらうのではなく、みんなが知っているだろう曲をみんなで唄う、っていうコンセプトが我々のイベント。

初めて行った時から、「またきてよ〜」「また来るよ〜」と約束し続けて
1年に3回、定期的に通っています。

 

その時に気づいたんです。

 

自分が奏でた音が求められているんだ

 

ということに。

それと同時に、それまでの自分の音楽は独りよがりだと思っていたけど、少なくともファンの人たちがいて、自分の音楽を待っていてくれる人たちがいたということに、今更ながら気づきました。

 

あ、これが音楽なんだ、とわかりました。

 

よしかねたくろうの代表曲「ありがとう」

 

僕の音楽は、仮設住宅に行って、みんなで一緒にうたえる唄をうたうことが、自分の音楽なんだな、と思っていました。

その頃、名古屋は震災の被害を受けなかったから、今まで通り普通で皆、関心が薄かった。

被災地はまだボロボロに傷ついていたのに。

そこで名古屋の人たちに陸前高田のことを伝えるために、「ありがとう」という曲を作った。

この曲を被災地で唄うのではなく、名古屋の人や自分のライブに来てくれた人たちに届けています。

それから、この唄が一人歩きして、
TV CMで使っていただいたり、いろんな人に唄っていただいたり、手話でコーラス(ハーティーコーラス)をしてくれたり。

 

この「ありがとう」という唄が、よしかねたくろうの代名詞のようになりました。

 

紅白に出て、被災地の皆さんを元気づけたい

 

けれど、「がんばっぺし☆なごや」として被災地で演奏するときは、自分たちの曲はやらない決まりだから、

陸前高田のおじいちゃんおばあちゃんたちは、僕が「よしかねたくろう」としてオリジナルソングを唄っているアーティストだということは知らないんです。

 

そこで考えたサプライズ。

僕がNHKの紅白歌合戦に出て、陸前高田の皆さんを驚かせたい。

紅白なら老若男女みんな観ると思うから。びっくりさせたいです、ほんとに。

だからある意味ストイックに紅白を目指して、色々悩みながらやっています。
それでも紅白だけを見て、コツコツと活動を続けてる最中なんです。

 

9/23の主催コンサートについて

陸前高田市は平野で津波起きて全部なくなりました。

僕の地元の駅に、「初めてデートに誘えた女の子に振られた」っている青春の苦い思い出があるんだけど笑
陸前高田は全て流されてしまったから、そういう思い出を思い出すものが全てなくなってしまったんです。

今まで当たり前にあると思っていたのに、人も街も駅も思い出も全部流されてしまった。
その中で陸前高田の人に「当たり前のことなんて何にもないんだよ」と教えられました。

それまで地元を離れて暮らしていましたが、その言葉を胸に4年前の12月、豊明に帰郷しました。

それで、ここ「豊明」から音楽を発信しようと決め、
それが、豊明市文化会館でのコンサートのはじまり。今回で3回目になります。

 

1回目は800人の大ホールで600人くらいの人が集まってくれた。

紅白に出られたら、豊明の人にもきっと喜んでもらえる、だからそれまで、「背中を押してね」ということもコンセプトの一つです。

ファンのみんなには「紅白出たら、よしかねたくろうと友達だよって言ってね!」と言いふらしてます笑

 

そしてこれらの活動から、2016年11月、豊明市長より広報大使に任命していただきお受けしました。今は地元の人たちと関わりながら自分ができるPRを考えています。

その中の一つ「豊明にもすごい人たちがたくさんいるんだよ」という今回のコンサートのコンセプト。

豊明市広報大使としてPRするべく、豊明出身のミュージシャンをゲストとしてたくさん集めて、みんなでステージを作ります!

 

うおしーらんも、たくろうさんとコラボします

 

…いかがでしたでしょうか?(ここからはうおしーらんです!)

 

いやぁ、めちゃくちゃいい話でした。

9/23に出演してくださいとお話はずっと前からもらってはいましたが、このコンサートにかける思いは今回のインタビューで初めて知りました。

 

ちなみにうおしーらんは当日、2曲コラボで出演させていただきます!

1曲は、私が制作したタイアップ楽曲「Knock in Drive」。

 

この曲はたくろうさん率いるバンドに生演奏してもらい、私がギターボーカルを務める、バンド形式でお届けします!

2曲めは、よしかねたくろうさんの楽曲「滑走路」。

この楽曲に込めた思いを聞いてみました。

その世界でも、並んで並走している人たちがたくさんいる。
他の音楽家とか、ライバルとか。
けれど結局、何事も自分自身の問題出会って、比べるものではないよね。
自分自身に言っている歌詞でもあるんだよ。

僕のことを全然よく知らないのに、「ありがとう」という代表曲だけの印象で、裏表のない健全な人間だと思われてしまうこともある。
けれど、本当は混沌としてていろんな経験があったからこそ、書けた曲なのにね。

自分が世の中とか世界の立ち位置を探す必要はないんだよ。

 

とのこと。

こちらの楽曲は、ぜひコンサートへ直接聴きに来てくださいね!!

 

2018.9.23(日) | 豊明市文化会館 小ホール

よしかねたくろう コンサート2018
「ありがとうディアフレンズ」

チケット[全席自由] ※整理番号順のご入場となります

一般:3,500円

小学生以下:1,700円

障がい者・未就学児:無料(要チケット)

 

 

 

最後まで読んでくれてありがとう!!


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ABOUTこの記事をかいた人

【ミュージシャンタレント】 タイアップソング制作・ミュージシャン活動・作詞・作曲・タレント活動。 高校2年生の時にラジオ番組”SCHOOL OF LOCK!”に衝撃を受けて音楽活動開始。 6年間メジャーデビューを目指しバンド活動をした経験を生かし、音楽制作やライブのみならず、自分の経験をメディアで発信し、いま背中を押されたい人を勇気付ける活動をしている。 現在のメインの活動は夫婦YouTubeチャンネル「うおプロ」(出演・動画編集を担当) うおしーらんオフィシャルサイトはこちら