うおしーらんの生い立ち

こんにちは、「タイアップ専門シンガーソングライター」うおしーらんです。

(これまでUOと名乗っていましたが、2018年2月より「うおしーらん」に改名しました。)

このブログに足を運んでくださり、ありがとうございます。

 

ところで、どうやったら大好きな音楽を職業にして生活していくことができるんでしょうか??

 

音楽を仕事にするってなんか大変そう。安定した職を捨てたりとか、いろんなものを犠牲にしなきゃいけなさそう。

けど、私は決めました。

 

「名古屋出身、25歳で今から上京して音楽でフリーランスになり、音楽を作りながら楽しく人生を暮らすという夢を叶える」

と。サイコーですね、そんな人生叶えられたら。ですが、ここで様々な問題が生じています。

 

①準公務員という安定した職を捨てる必要がある

②貯金がほぼ皆無

おい、大丈夫なのかよ。書いてるだけで自分が心配になって来ます。

こんなことになってるのにはこれまでの経歴に理由がありまして。問題について語る前に、自分の生い立ちについて少し書きます。

 

うおしーらんの生い立ち

 

いい子ちゃんだった幼少期〜中学時代

 

両親は絵に描いたような真面目な性格で、

「娘には学校の勉強をしっかり頑張っていい高校、いい大学へ進学し、将来はいい会社に就職してほしい」と願っていました。

 

だから、両親に言われるがままに学校の成績は、常にクラスのトップで居続けました。この頃って、親の言うことが全てだと思ってましたから。

勝気で負けず嫌いな私は、学校のテストでは好成績を叩き出していました。高校受験も、第一志望の公立難関進学校へ合格。

おそらく、両親にとって私は自慢の娘だったことでしょう。自分でもそんな自分が誇らしかったです。

 

バンドで喰っていきたいと思ってしまった高校〜大学時代

 

ある日、10代向けのラジオ番組SCHOOL OF LOCK! で、10代限定の音楽オーディション「閃光ライオット」(現在は未確認フェスティバルに名前が変わってます)の存在を知ります。

自分と同じ高校生がバンドを組み、オリジナルの曲を作って1万人の観客の前でライブをし、プロと全く区別がつかないようなハイクオリティな音源がラジオから流れていたのです。

 

…衝撃でした。

勉強なんかやめて、今すぐ自分もバンドやりたい、と思いました。(その高校には軽音楽部はありませんでした)

しかし、両親は将来有望な自慢の娘が県内でトップの某国立大学へ進学することを、強く 強く 強く 望んでいました。

「卒業後は音楽の専門学校へ行きたい」なんて切り出してみた夜は本当に悲惨でした。

学校で授業を受け、吹奏楽部の練習に参加し、夜は予備校に通い、深夜にギターと歌の練習をするのがせいいっぱいでした。(おかげで授業は毎日寝てました)

当時は、親の反対を押し切って音楽の専門学校へ行く勇気などなかったため仕方なく、県内トップの国立大学を受験し、見事合格してしまったのです。

 

授業そっちのけでバンド活動に明け暮れた大学時代

 

大学に入ってすぐに、バンド「スズムシラプソディ」結成。

 

私はギターボーカルを担当しており本気でデビューを目指していました。

結成して1年足らずで当時のヤマハの大規模なオーディション「Music Revolution(通称ミューレボ)」で勝ち進み、全国4000組中の10組に残り、ジャパンファイナルへ。

そのジャパンファイナルが当時20歳だった私の成人式と日程がモロかぶりしており、

両親に

「成人式を蹴ってジャパンファイナルに出たい。優勝してデビューしてバンドで喰っていきたい」

と打ち明けたところ、お察しのとおり、けちょんけちょんに反対されます。

それでも反対を押し切り、ジャパンファイナルへ出場したものの、見事に撃沈。

▼その時のライブ映像はこちら(恥ずかしい…!!)

 

その後、メンバー脱退などを繰り返し活動はまさに地獄の修行のようにしんどいものでした。

▼その頃に作っていたのはこんな曲でした

大学在学中にデビューしたい、という夢は儚く散ってしまい、就職することに。

それでもしぶとくバンドを続けたかった私は、就職先は楽そう・定時で帰れそう・融通が利きそうというナメた理由で、とある大学の正規事務職員に決めました。

 

音楽の夢の挫折・ネットワークビジネスにハマり借金を作ってしまった社会人時代

 

大学職員をナメててほんとすいませんでした。最初に配属された部署は地獄のように忙しく残業は当たり前。

仕事内容も、学生の延長気分で来てしまった自分には荷が重く、上司との摩擦もあってかだんだんメンタルを病むように。

そんな中、無理やり続けていたバンドもうまく行くはずがなくバンドはメンバーを失い、ソロになります。

▼心を病み、ソロになったばかりの私。歌詞が本当に病んでる…笑

 

その頃、元バンドメンバーのいとこの、3つ上のお姉さんが親しくしてくれるようになったのです。仲良くなって、何度もご飯へ行くうちにある日、某ネットワークビジネスに勧誘されます。

 

「このビジネスで成功すれば自分が働かなくても勝手に入ってくる収入がもらえてうおちゃんの音楽の夢も叶うよ」

という甘い言葉に乗ってしまい、そのビジネスにハマりこんでしまいました。(この件でご迷惑をかけた方にはこの場を借りてお詫びいたします…m(_ _)m)

▼大好評!この件、全5話に渡って詳しく語っています。世間知らず女子が地獄から抜け出して成長した話。(この記事はこの会社を批判する目的で書いたものではありません)

関連記事:

【Amway暴露】(第1話)世間知らず女子がネットワークビジネスで堕ちていった話。

【Amway暴露】(第2話)洗脳完了。こうして私は「アムウェイの人」となった。

【Amway暴露】(第3話)アムウェイがわからない人は、あなたの本当のお友達ではないの。

【Amway暴露】(第4話)「アムウェイの人」が見たら98%の確率でビジネスを辞めたくなる動画があった

【Amway暴露】(第5話・完結)ネットワークビジネスという経験が人を大きく成長させる

 

一時は大事な音楽活動をそっちのけにしてまでビジネス活動をしていたくらい、完全に洗脳されていました。

めちゃめちゃ頑張っているのに結果はついて来ず、製品を買い込んで、気づくと、カードのリボ払い残額がとんでもないことに。

要するに、人生で初めて借金地獄に陥ったわけです。

 

…現実を直視したくはありませんでした。貯金もなく、返す方法もなく、誰にも言えなかったのでとりあえずリボ払い残高は放置していました。

いろんな方からの助言もあり、目が覚めた私はそのビジネスはやめて、本来の音楽活動に専念し、2017年の8月に地元名古屋でワンマンライブを敢行することを決定。

その準備や宣伝のためのライブ出演で忙しい日々を過ごしました。しかし、ワンマンライブの1ヶ月前、急に何もかもが嫌になってしまったのです。

ギターも触りたくないし、歌も歌えない。もう無理だ、疲れた、ワンマンライブもやめてしまいたい。

いやいや何を言っているんだ、今の大学職員という職を決めたのも、空いた時間を使ってアーティストとしての夢を叶えるためでしょ?それに、大学1年から5年間、ずっと音楽活動を頑張って来たじゃん。

泥臭い活動だったけど、だんだん応援してくれる人の数も増えて来たし少し大きいイベントにも出させてもらえるようになって来たし、これからじゃん!!

 

 

やめたい or 続けた方がいいという二つの気持ちの葛藤でした。

しかし、やめたいという気持ちが収まらず、悩んだ末に、8月のワンマンライブをもって、アーティスト活動に終止符を打つことに決めたのです。

 

 

音楽は好きでした。けど、そのやり方がいけなかかったんだと思いました。

これまでずっと、「遊ぶことは我慢して、今は将来のために勉強を頑張りなさい」と親や先生から教育され、

 

 

「働かなくてもお金が入ってくる仕組みを作るために今は我慢して、とことんビジネスに専念しなさい」とネットワークビジネスの親玉から教育され、

 

欲しい結果を得るためには我慢が必要という常識の中で生きてきました。

 

そうしているうちに、知らず知らずに「ライブに人が来なくて苦しい時もあるけどデビューの夢のためにそれくらい我慢しなさい」と自分に言い聞かせながら、

 

好きで、楽しくて始めたはずの音楽を自分の手で「苦行」にしてしまっていたのです。もう、そんな常識は捨ててしまおうと思いました。

音楽活動を辞めてから、いろんな本を読んで、いろんな場所に行き、音楽とは関係のない人たちの話もたくさん聞き、いくつかの、結論にたどりついたのです。

 

人生に「こうでなければならない」なんて、ない。他人の意見など関係なく、自分で好きなように人生をデザインしていい。

 

「好きなこと」を仕事にすると、人生めっちゃ楽しくなる。それを嫌々やってる人より高パフォーマンスで仕事ができる。

 

そうであるならば!すぐにでも自分もそんな人生を歩みたい!

 

大好きな、音楽に関係のある仕事がしたい!フリーランスになって、時間や仕事内容を自分で決めたい!行くとわけもなく胸がワクワクする東京に住みたい!

 

だがしかし、冒頭でもあげた問題点があるわけなんです。

 

上京したいんだけど…

準公務員という安定した職を捨てる必要がある

これ、怖いですよ。私にとっては。親が唯一認めてくれていた肩書きを捨てることになりますからね。

 

確かに、生活費は安定してもらえる。

 

けど、どうしても、そこで毎日好きでもないエクセルで書類を作ったりしている作業が自分の人生にとって無駄な時間でしか思えなくなって来たのです。

 

「1万時間の法則」というのを聞いたことがあります。

 

ある分野のマスターになるにはそれを人生で1万時間やれと。

このままじゃ誰でもできるようなつまんない書類作りのマスターになってしまう。

そんなのいやだ!

 

その1万時間を書類作りじゃなくて

音楽を作ることに費やす。

 

だから、もうやめてしまおうと思いました。

 

貯金がほぼ皆無

ネットワークビジネスで作ったリボ払いの残高(借金)の件ですね。実はこれ、のちに周りの人の後押しがあって、両親に正直に打ち明けました。

そしたらなんと、親が全額肩代わりしてくれたのです!!

今まで、親なんか何をやるにも反対して来たりぐちぐち行って来たり本当に鬱陶しいなぁと思っていたのですが…今まで本当にすみませんでした。ありがとう。本当に。

 

困った状況になって初めてありがたみに気づくなんて本当に遅すぎますが、改めて、両親が影でずっと支えてきてくれたことに気づかせてもらいました。

 

おかげさまで高額なリボ払いの利子は免れたのですが、当然、親に対して毎月返済しなければなりません。さんざん迷惑と心配をかけたんだから、娘として毎月きちんと返済していく誠意は見せなきゃね。

 

 

やっぱり、シンガーソングライターとして成功したい

うおしーらんの長期的な目標は、

「もう一度、シンガーソングライターとして活動を始め、世界的に有名なアーティストになること」(そして、尊敬してやまないEd Sheeranと共演すること)

です。

 

そのためには、自分の作品を待っていてくれるお客さんを作ることが必要不可欠です。

音楽アーティストでプロを目指している人は大抵、曲作って、ライブして、SNSに自分の曲をアップしてブレイクしていくのを待つ。こんな風に活動している方がほとんどだと思います。

 

例にもれず、私もかつてはそのような活動をしていましたが、挫折してしまったのです。

挫折の原因を分析してみました。それは、お客さんが来ないライブをやり続けることに疲弊した。一番の理由はこれでした。

人前で歌うことは本当に大好きなんです。それは、私にとっては「客席が満員であること」が前提です。

これまで、

 

①お客さんは少ないけどライブをやり続ける

②だんだんお客さんが増え、満員のライブハウスでライブができるようになる

 

という常識の中で生きてきましたが、

 

そもそも「①」の段階が自分にとって苦しすぎたのです。

 

お客さんがいなくったって構わない!俺・私はとにかくライブが大好きなんだ!!という人は「①」を頑張り続ければいいと思いますが、「①」が辛くてたまらない自分がそんな人たちと勝負したってかなうはずがないと思い、その勝負からは一旦降りることにして、

別の方法で「②」へたどり着く方法を考えました。

 

それが、「歌・作詞・作曲の能力を生かしてダイレクトに人の役に立つ」ことでした。

 

 

お客さんがいない中でライブをするのにそこで歌うオリジナルの曲を作ることは、なんだか「自分のためだけ」に作って、歌っているような気がしていました。

 

私はぜったいにもっとビッグになるんだ!今に見とけよ!!

 

っていうエゴを、聴いてくれている人に押し付けているというか。

 

もちろん、少なからず私のライブに来てくださり応援してくださるファンの方もいたのでその方達のためでもあったのですが、どうしても、もっともっとたくさんの人に届けたかったのです。

 

だから、「僕・私のために曲を作ってください!歌ってください!」というご依頼を募集し、その方達のご要望にお応えする形で音楽作品を作っていこうと思いました。

 

 

地道にそうやって人の役に立っていけば、だんだん、うおしーらんの作る音楽に触れる方達が増え、応援してくださる方が増えていくのではないかと思いました。

 

それで、音楽活動をお休みしてからはそう言ったご依頼を少しずつ受けるようになり、気づいたことがあります。

 

 

誰かの役に立てるって気持ちがいい…!!

 

 

曲を作りながら、ご依頼主の顔を思い浮かべて「歌詞にこんな言葉を入れたらもっとかっこよくなるかな」「こんな声で歌ったら笑顔になってくれるかな」なんて思うと、すごく、心が満ち足りた気持ちになります。

辛いライブをし続けてファンを増やすのではなく、自分が得意で楽しくできることでダイレクトに人の役に立って、ファンを増やし、自分の作品を広く届け、

それで生計を立て、社会へ還元する=「音楽作って、遊んで暮らす」

 

こっちにシフトするために、よりたくさんの人たちと出会える東京という土地で音楽でフリーランスを目指していくことに決めたのです。

▼なぜ「タイアップ専門シンガーソングライター」を始めたのか、THYNK140というメディアのインタビューで語らせていただきました。


2017年の10月から人からのご依頼で楽曲を作り始め、おかげさまで現在も、このブログやSNSの発信を見てくださった方々からや、口コミなどで、楽曲制作のご依頼を受け続けております。

▼ダンススタジオ用ダンスミュージックから、BARのテーマソングまで。これまで制作した楽曲の制作エピソードを語っています。

関連記事:これまで制作したタイアップ楽曲

 

このブログで伝えたいこと

お金がなさすぎてやばいとか書いてしまいましたけど、このブログを読んでいるあなたに暗にお金を貸して欲しいとか、奢って欲しいとかそんなことが言いたいのではないのです。(当たり前)

 

当然、こういうことを書いていれば例えば同窓会とかで私がいない場所で「うおちゃんって今仕事も辞めてお金もなくてフラフラしててやばいらしいよ〜」って言われるだろうことも覚悟の上です。

学校の勉強はできても貯金もなく変な人に騙されたり紆余曲折してきた私です。

けど、一つだけ言えることがあります。

そんな私が「音楽作って、遊んで暮らす」って夢を叶えることができたら、これを読んでくださっているあなたに勇気を与えることができると。

 

夢を実現させて行く過程をこのブログでシェアすることで、今読んでくれているあなたの人生の背中を押すことができれば良いなと思い、今日も書いています。

ぜひ、読者登録をしてSNSでもシェアしてください!今後とも宜しくお願いいたします!!


▼実際に、こんな感じでお仕事のご依頼を受けています。

関連記事:タイアップ楽曲提供について(※ご依頼を検討中の方は必ずお読みください)

 

▼「音楽作って、遊んで暮らす」について、アンチ意見が来たので物申す。

関連記事:「遊んで暮らす」って言ってるけど、人生ナメてるわけじゃない。